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ローレンス (ミサイル駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
ローレンス (ミサイル駆逐艦)

ローレンス (USS Lawrence, DDG-4) は、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦の3番艦。艦名は米英戦争の英雄であるジェームズ・ローレンス大佐に因む。
== 艦歴 ==
ローレンスは1958年10月27日にニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所で起工する。1960年2月27日にローレンス大佐の曾孫、ファーニー・C・ハバード夫人によって進水し、1962年1月6日に就役した。
五大湖での整調巡航の後、ローレンスはノーフォーク海軍基地に移動し大西洋艦隊での任務に就く。1962年10月のキューバ危機に際して直ちに展開し、続いてローレンスは第136.1任務群に配備された。部隊はキャンベラ (''USS Canberra, CAG-2'') 、ニューポート・ニューズ (''USS Newport News, CA-148'') 、ローレンスと3隻のミサイル艦、12隻の護衛艦艇から構成された。部隊は10月24日にキューバ北方の封鎖海域に到着し、二日間の任務に就いた。26日の金曜日、ローレンスはマクドノー (''MacDonough, DLG-8'') と共にキューバにミサイルを持ち込もうとしたグロズヌイ (''Grozny'') を追い始めた。翌日、ソ連は危機の沈静化に同意した。そして米ソはお互いに退き始めた。
1962年12月6日にノーフォークに帰還した後、ローレンスは1963年2月6日に最初の地中海巡航に赴く。大西洋を横断しヨーロッパ海域で第6艦隊に合流、7月1日まで作戦活動に従事した。2度目の地中海巡航は1964年4月から8月にかけて行われ、配備完了後ノーフォークで最初の拡張オーバーホールが行われた。就役から10年までに、もう4度の巡航を行う:1965年の第6艦隊配備(8月24日から12月17日)、1966年の北大西洋におけるNATO演習(8月3日から9月5日)、1966年から67年にかけての地中海巡航(9月27日から2月1日)、1968年、3度目の第6艦隊配備(1月10日から5月4日)。ローレンスの4度目の第6艦隊配備では、クレタ島沖で沈没した商船、ニュー・メドウ (''New Meadow'') の乗組員を救助した。
その後も2度、1969年から70年にかけてと1971年に地中海に展開し、1972年から73年にかけてはベトナム戦争に参加、西太平洋において艦砲射撃による地上部隊の支援を行い、空母の作戦活動では航空機支援任務に従事した。その後も1977年から78年および1979年に地中海に展開し、黒海を短期間訪問している。ローレンスはまたインド洋およびペルシャ湾(1974-75、1980、1983-84)に展開した際に地中海を通過している。
ローレンスはまた母港に近い海域、西大西洋およびカリブ海での任務も頻繁に行い、しばしば他の海域も訪問した。1986年にはオペレーション・ユニタス XVII の一部として南米を周航し、ラテンアメリカ諸国の海軍と演習を行い、ベネズエラコロンビアエクアドルペルーチリウルグアイブラジルの港を訪問した、
ローレンスは1990年3月30日に退役し、1990年5月16日に除籍、1994年4月15日にスクラップとして売却された。スクラップの契約は1996年10月1日に終了し、1999年2月10日に転売された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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